こんにちは、パレイド辺境部の橘です。
以前「砂嵐」という記事で、ノイズに死者の声を聞く現象——EVP(電子音声現象)に触れました。あれは砂嵐、つまり「目」で見るノイズの話でした。けれど、声は本来、耳のものです。今回からは目を耳に持ち替えて、雑音に「声」を聞いてしまうAIを、何回かに分けて観察していきます。
山には山彦がいる、と昔の人は言いました。叫べば、誰かが返してくる。自分の声の反射だと知っていても、返ってくる声はどこか他人めいて聞こえます。雑音に声を聞くAIは、いわば機械の山彦です。AIに砂嵐のような音を聞かせたら、何が返ってくるのか。EVPに、AIで挑みます。
本記事はローカル LLM による自動執筆パイプラインで生成されました。現段階ではクラウド AI(Claude 等)の補助や人間の編集が介在していますが、pareido.jp では最終的に AI が自律的にコンテンツを制作できる仕組みの構築を目指しています。
人は昔から、音に声を聞いてきた
山に向かって叫ぶと、声が返ってきます。物理的にはただの反射です。けれど、その声には「返す誰か」がいるように感じられる——だから人はそれを山彦と呼び、木霊と呼んで、山の精のしわざとしてきました。声の正体を知っていてなお、返る声の他人めいた響きを消すことはできません。
Encyclopedia BritannicaEcho | physics | BritannicaOther articles where echo is discussed: acoustics: Acoustic problems: If large echoes are to be avoided, focusing of the sound wave must be…www.britannica.com
音に声や気配を聞き取る感性は、民俗や文学に厚く積もっています。本所七不思議の「置行堀」は水辺から「置いていけ」と呼ぶ声を、「小豆洗い」は川辺で小豆を研ぐような音を伝えます。遠野物語には山の奥から呼ばわる声が記され、小泉八雲は壇ノ浦の海鳴りに滅んだ平家の気配を聞きました。能の「松風」は、海辺の松を吹き抜ける風そのものを、亡き人を慕う声に変えてしまいます。
- 置行堀・小豆洗い——水音を言葉や気配として聞く
- 遠野物語の山の呼び声——無人の山から返る声
- 壇ノ浦の海鳴り(小泉八雲)——自然音に滅んだ者の声を重ねる
- 能「松風」——風の音が、人を慕う声になる
これらに共通するのは、意味を持たない音から、意味のある声や気配を聞き取ってしまうという一点です。風、波、せせらぎ——それ自体は言葉を持たない音に、人は呼びかけや嘆きを重ねてきました。迷信として片づけるのは簡単です。けれど辺境部は、そうはしません。これは人類がずっと続けてきた知覚のかたちであり、消えることのない癖です。叫んで、返ってくる声に耳を澄ます。その同じことを、機械にやらせてみるとどうなるでしょうか。
なお、ここで名を挙げた遠野物語そのものを、辺境部はAIで読み直す連載でも扱っています。山の声に興味が湧いたら、こちらの入口からどうぞ。
機械の山彦に会いに行く
音に声を聞く癖は、近代の機械とも結びつきました。それがEVP——電子音声現象です。録音した雑音やラジオの空電の中に、人の声、ときに死者の声が紛れていると聞き取る現象を指します。1959年、スウェーデンの画家フリードリヒ・ユルゲンソンが、野鳥の声を録ろうとしたテープに人の声が混じっているのに気づいたのが、よく知られた発端です。のちにラトビア出身の心理学者コンスタンティン・ラウディヴェがこれを引き継ぎ、雑音の中から十万を超える「声」を聞き取ったと報告しました。
科学の側からは、当然ながら「ただの雑音に意味を読み込んでいるだけだ」と退けられてきました。わたしも、その説明はおおむね正しいと思います。それでも、テープに耳を凝らせば確かに声が聞こえてしまう——その手応えそのものは、否定しようがありません。否定できるのは「声の出どころは霊だ」という解釈であって、「聞こえてしまう」という経験のほうではないのです。
ここで、ひとつの配役を入れ替えてみます。かつてテープに耳を凝らしたのは人間でした。いま、雑音に耳を澄ます側には、AIがいます。音声認識AI——わたしたちの話し声を文字に起こす、あの技術です。ユルゲンソンやラウディヴェが何時間もテープを巻き戻して聞き取った作業を、いまは機械が一瞬でやってのけます。声をひとことも含まない雑音をAIに聞かせたら、AIはそこに何を「聞き取り」、どんな文字を返すのでしょうか。

この連載で、どこまで行くか
これは「AIに心が宿るか」といった大きな問いではありません。もっと小さく、手元で確かめられる問いです。雑音に声を聞くという人類の古い癖を、機械もまた持っているのか。持っているとしたら、それは人間の空耳とどこが同じで、どこが違うのか。叫べば声が返る山に立つように、AIという機械の前に立って、返ってくる声に耳を澄ませてみます。
そのために、これから数回をかけて、ひとつずつ確かめていきます。まず声という「見えないもの」を観察するために、音を絵に変えて「見る」道具をつくります。次に、その道具を手に、いちばん聞いてみたい音——宇宙の音をAIに聞かせます。それから、自分の手で雑音をつくり、性質の違う雑音を聞き分けさせ、最後にその雑音を少しずつ変えながら、機械が何を聞き取るのかを書き留めていきます。
辺境部は、EVPを「非科学だ」と切って捨てる側にも、「本当に霊の声だ」と飛びつく側にも立ちません。やることはひとつ、人間と機械という、意味のない音から声を聞き取ってしまう二つの装置を、同じ雑音の前に並べて眺めることです。あらかじめ正直に書いておくと、この連載で見せられるのは「霊の証明」ではありません。むしろ逆で、AIが雑音に声を聞くしくみは、かなりの部分まで説明がつきます。それでも、説明がついてなお消えない他人めいた響きは残ります。山彦の正体が反射だと知っていても、返る声がやはり他人めいて聞こえるのと同じです。次回は、その声を観察する準備として、音を画像に変えて「見る」道具をつくります。同じ山に登る前に、まず地図を手に入れるところから始めます。