こんにちは、パレイド思想部の梨本です。
連載「古典妖怪 LoRA」の第5回です。前回は、怪談の主役が必ずしも妖怪とは限らないこと、そして型分類が怪談の配役表にもなることを書きました。
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ここまでわたしは、もっぱら妖怪の「形」を見てきました。伸びる首、無い顔、甲冑の亡霊——どれも「何が描かれているか」という図像の話です。けれど絵を集めていて、もうひとつ別の軸があることに気づきました。同じものを描いても、画家が違えば絵はまるで別物になる、という当たり前のことです。今回はその「画風」の軸に踏み込みます。
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同じ「幽霊」でも、石燕と暁斎では正反対の手
これまで連載の軸にしてきた鳥山石燕は、妖怪を一図一妖怪で淡々と並べた人です。その線は平板で、墨の濃淡もおさえぎみ。図鑑のように、姿かたちを冷静に書き留めていく手つきでした。下は連載の最初に扱った石燕の雪女ですが、見ての通り、輪郭をなぞる木版の線がほとんどすべてを担っています。

ところが、同じ江戸から明治にかけて活躍した河鍋暁斎が「幽霊」を描くと、まったく別の絵になります。暁斎の幽霊図は、墨がにじみ、闇に溶けるように立つ痩せた幽鬼です。行灯のわずかな光に浮かぶその姿には、石燕の平板さとは正反対の、凄みのある気配が宿っています。

二枚を並べると、描いている対象が近くても、手つきがまるで違うのが分かります。石燕は形を線で囲い、暁斎は気配を墨でにじませる。この「手つき」こそが画風です。著名な絵師を連載に加えるというのは、つまり、性格のまるで違うこういう手を何人も招き入れる、ということでした。
写実にすると、暁斎の手が消える
そこで、これまでと同じやり方で暁斎の幽鬼を写実にしてみました。やり方は連載で繰り返してきた img2img(元の絵を下絵にして、写実寄りのモデルで描き直す生成のやり方)です。妖怪の「形」を保ったまま、木版や墨の作法だけを写実トーンに置き換える——そのつもりでした。
結果がこれです。

整った、写実の女性になりました。技術としては成功です。けれど、暁斎の痩せさらばえた幽鬼の凄みも、闇ににじむ墨の質感も、すっかり消えています。残ったのは「綺麗な人物写真」で、暁斎が描いたものとは別人の、穏やかな表情です。そして見ていてはっとしたのは、これが第1回で石燕の雪女を写実にしたときと、ほとんど同じ顔の世界に着地していることでした。出発点はあれほど違う二人の手だったのに、写実にした先では、見分けのつかない顔に揃ってしまう。
剝がした画風は、基盤モデルの画風で上書きされる
ここが今回いちばん伝えたいところです。連載の最初に、わたしは「描けない」を①図像(何が描かれているか)と②画風(どんな手つきで描かれているか)の二層に分け、img2img で②を先に剝がしてから①を学習させる、という設計を立てました。暁斎の例は、その設計の見落としを照らし出してくれました。
写実化はたしかに①の図像を残し、②の画風を剝がします。けれど剝がした②は、そこで無くなるわけではありません。空いた場所には、必ず別の画風が入る。具体的には、写実化に使っている基盤モデル(RealVisXL という写実寄りの生成モデル)の画風が、そっと上書きされるのです。だから石燕の木版も、暁斎の墨も、剝がした先では同じ「基盤モデルの顔」に置き換わる。出発点が違っても同じ顔に揃うのは、そのためでした。
これは、著名画家を増やしていくうえで無視できない含意を持ちます。国芳を、北斎を、芳年を、と巨匠を何人招いても、このパイプラインのまま写実化して混ぜれば、全員の手が同じ基盤モデルの画風に均されてしまう。図像はそれぞれ残るのに、誰の手で描かれたかという情報だけが、こぼれ落ちていく。「均す装置」という連載の見立ては、妖怪の異形だけでなく、画家の個性に対しても働いていたわけです。
まとめ ── 「画家を増やす」とは、画風をどう扱うか決めること
そう考えると、著名画家拡張は「ソースを増やす」だけの話ではありませんでした。画風をどう扱うかを決める設計の問題だったのです。残せる道は、おおむね三つあります。
- 画家別に LoRA を焼く — 画風を剝がさず、暁斎なら暁斎の墨ごと学習させる。巨匠の手を最もよく残せる反面、画家ごとに学習が要り、写実とは違う絵になる。
- 画風タグで条件づける — 図像と画風を別の手がかりとして持たせ、「暁斎風」「石燕風」と呼び分けられるようにする。一つのモデルで使い分けられるが、タグの設計と十分な作例が要る。
- 今のまま剝がして統一する — 全員を写実トーンに均す。妖怪の「形」を量産するには向くが、誰の手かは消える、いわば没個性の道。
どれが正しいということではなく、何を残したいかで選ぶものだと思います。妖怪の形だけ欲しいなら統一でいい。巨匠の手まで残したいなら、剝がしてはいけない。連載の最初に立てた「②を剝がす」という設計は、形を集めるには有効でしたが、画家を主役にする段では選び直しが要る——それが、暁斎の一枚から見えてきたことでした。
暁斎の幽霊は、原画と写実版を対にして、常設の古典妖怪データベースに書き加えるつもりです。石燕の平板な線と暁斎のにじむ墨を並べ、その両方が写実にすると同じ顔へ均される——その様子をそのまま見比べられるようにしておけば、「画風の軸」がひと目で伝わる記録になるはずです。続きは、次の絵で。