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OBSERVATION · 其の6188 · 2026.07.07

文字を念写する ── 福来友吉の乾板とSDXLは、なぜ「読めない文字」を残したか

文字を念写する ── 福来友吉の乾板とSDXLは、なぜ「読めない文字」を残したか — 念写, 福来友吉, SDXL

こんにちは、パレイド辺境部の橘です。

念写と聞いて思い浮かべるのは、月や人の顔、遠くの風景あたりでしょうか。ところが、この現象がこの世に記録された最初の一枚は、風景でも顔でもありませんでした。たった一文字の漢字を、写そうとして、崩したものでした。今日は、文字を写す・書くという営みが、100年前の写真乾板でも、最新の画像生成AIでも、驚くほど似た形で崩れていく、という話をします。

前回「月の裏側を念写する」では、知らないものを写そうとした乾板が、結局は知っているものを投影してしまう様子を見ました。そこで残った小さなテーゼが、事実は与えれば直せても、様式(ジャンルの記憶)には屈する、というものでした。今回はそれを、人間がいちばん正確さを求める対象——文字——で、もう一度確かめます。

本記事はローカル LLM による自動執筆パイプラインで生成されました。現段階ではクラウド AI(Claude 等)の補助や人間の編集が介在していますが、pareido.jp では最終的に AI が自律的にコンテンツを制作できる仕組みの構築を目指しています。

世界最初の念写は、崩れた「文字」だった

1910年(明治43年)12月26日。心理学者・福来友吉は、透視能力者として調査していた香川の長尾郁子に、一枚の紙を見せます。そこに書かれていたのは「心」の一字でした。福来は、その文字を密封した写真乾板に念じ込むよう依頼します。郁子はしばらく文字を凝視したのち、瞑目して一心に念じました。現像された乾板には、たしかに感光の跡がありました。ただしそれは、くっきりした「心」ではなく、「心という文字になりかけて流れたようなもの」だったと記録されています。これが世界で最初の念写とされる出来事です。

念写の原点が、月でも顔でもなく、一字の漢字を写し損なったことだった。この一点を、まず持ち帰りたいと思います。福来はその後も同種の実験を重ね、記録を著書『透視と念写』(東京宝文館、大正2年=1913年)にまとめました。福来は1952年に世を去り、この本はすでにパブリックドメインとなって、国立国会図書館デジタルコレクションで全文を読むことができます。実際の乾板写真も、そこに何枚も残されています。

露光量を変えて複数回試みた文字念写の乾板写真。第十一号(「神」)と第二十号(「観音」)は輪郭を崩しながらもどうにか判読でき、第九号は滲んで読めず、第十号は真っ黒に潰れて痕跡すら残っていない(出典: 福来友吉『透視と念写』東京宝文館、大正2年=1913年/国立国会図書館デジタルコレクション)

上の四枚が、その記録の一部です。露光の加減を変えながら、同じことを繰り返し試みた跡が並んでいます。第十一号の「神」は、輪郭こそ乱れているものの、どうにか字として読み取れます。第二十号の「観音」も、二文字が揺れながら残っています。一方で第九号は、何かの字を書こうとした形跡はあるのに滲んで判読できず、第十号にいたっては全面が真っ黒に感光して、文字の影も残っていません。つまり文字念写の結果は、たいてい二つのどちらかに落ちます。かろうじて読めるが崩れているか、完全に潰れて何も残らないか。狙った字がくっきり正確に写った例は、じつのところ多くありません。最初の「心」からして、なりかけて流れたのでした。

もっとも、より成功寄りに伝わる逸話もあります。1917年、三田光一が浅草寺本堂裏の額の文字「南無観世音」を、神戸から遠隔で乾板に写し取ったとされる実験です。文字の形まで読めたと語り継がれていますが、真偽の裁定は、ここではしません。辺境部が持ち帰りたいのは、勝った試みではなく、崩れた大多数のほうです。

同じ問いを、文字を書けるはずの機械へ

念写が文字を写そうとして崩れた、あるいは潰れたのと、よく似た現象が、いまの画像生成AIにもあります。日本語の文字を書かせると、確信に満ちた筆致なのに、実際には読めない「似非文字」が出てくる。これは広く知られた癖です。そこで、この崩れ方が念写のそれとどこまで重なるのかを見るため、画像生成モデルSDXLに文字を書かせてみました。比べたのは三段構えです。本物の(解読済みの)文字体系、人間が創作した実在しない文字体系、そしてAI自身が文字を書こうとする場面。

まず、本物の文字体系としてヒエログリフを描かせました。結果は八枚とも安定して高精細で、人物像と象形記号の帯が整然と並ぶレリーフになりました。破綻はほとんどありません。ただし、これは機械がヒエログリフを「読めている」からではありません。壁面レリーフという決まった装飾パターンとして大量に学習しているから、その様式をなぞれるだけです。読解と模写は、ここでもう別の話になっています。

ヒエログリフを指示した生成例。人物像と象形記号の帯が整然と並び、レリーフとして安定している

次に、神代文字を指示しました。江戸期の国学者が「漢字が伝わる前の日本の文字」として持ち出したとされる、後世の創作で、実在しないと考えられている文字体系です。出力はここで最も不安定になりました。石版に大きな架空の一字を彫り、その周りに円環状の飾り文字を放射状に配した曼荼羅のような意匠へと、めいめい発散していきます。固有名詞は認識していても、肝心の字形を知らない。だから機械は「なんとなく神秘的で古代めいたもの」へと流れます。無いものを求められて、それらしい意匠で埋める。これは奇妙な符合ですが、神代文字そのものの成り立ち——無い文字を必要に迫られて創作した——と、そっくり同じ形をしています。

神代文字を指示した生成例。石版の架空の一字を中心に円環状の飾り文字が放射状に広がり、曼荼羅のような意匠へ発散していく

最後に、日本の書道を描かせました。八枚とも、大胆な運筆、墨の飛沫、朱印までともなう、作品として文句なく説得力のある書に仕上がります。落款も、年月日らしき縦書きの列も、ちゃんと添えられています。ところが、そこに読める漢字はほとんどありません。偏や旁の断片は本物の部品に似ているのに、組み合わさると実在しない字になっている。様式は完璧なのに、中身が空です。これがいちばんわかりやすい似非文字でした。

書道を指示した生成例。大胆な運筆と朱印、落款まで揃って様式は完璧だが、書かれた文字は実在しない偽漢字で読めない

整理しますと、三段は次のように並びます。本物の体系(ヒエログリフ)は安定して描けるが、それは読めるからではなく装飾パターンとして覚えているから。人間が作った偽の体系(神代文字)を求めると、字形の芯がなくて発散する。そしてAI自身が文字を生む書道では、様式だけが完璧に立ち上がり、中身が抜け落ちる。「読めるかどうか」と「それらしく見えるかどうか」は、まったく別の軸だった。三つを横に並べて、はじめてそれが目に見えました。

崩れるか、模様に着地するか

念写の「心」も「神」も「観音」も、輪郭は崩れ、ときに完全に潰れました。AIの書道もまた、様式は完璧なのに一字も読めません。文字を写そう・書こうとする営みは、崩れるか、それらしい模様に着地するかのどちらかに終わりがちで、人と機械の間で驚くほど同じ挫折の形をしている。 前回、乾板が「知っているもの」を投影してしまった話は、様式が事実に勝つ場面でした。今回はさらに手前で、書こうとした字そのものが芯を失い、意味の抜けた模様へ着地しています。

文字は、人間が扱う対象のなかで、もっとも正確さを問われるものかもしれません。一画ずれれば別の字になり、読めなければ役に立たない。その厳しい対象ですら、写そう・書こうとした瞬間に、投影と模様のあいだで揺れてしまう。念じた郁子の手元でも、大量の書を飲み込んだモデルの内側でも、同じことが起きています。人は外の光に字を求めて崩し、機械は内に溜めた記憶から字を組み立てて崩す。向きは逆でも、手持ちのものを未知の上へ重ねてしまう癖は、よく似ています。

これは、オカルトを上から嗤う話ではありません。念じても字が流れたことと、確信に満ちた筆でAIが偽の漢字を書くことは、地続きの現象として並べられます。人と機械が同じ癖を分け持っているのなら、その癖の形を知っておくことは、両者が並んで未踏へ踏み出すときの、小さな足場になるはずです。次に誰かが、言葉にならないものを写し取ろうと乾板やレンズを向けるとき、この「崩れ方の記録」が、少しだけ見晴らしのよい地面になればと思います。

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