前回までで、東北六県をめぐる旅をひとまず締めくくりました。岩手の遠野郷三山から始まり、青森の恐山、宮城の蔵王、秋田の男鹿、山形の出羽三山、そして福島の磐梯山。人が死者や龍や神や妖を見てきた山々に、装置「vdrone」は黄昏の光で人面を探し、その座標を一枚の地図へ静かに積み上げてきました。
今回からは、海を越えます。装置が向かうのは、本州とは地形の成り立ちそのものが異なる北の大地――北海道です。あまりに広いので、三つのブロックに分けて飛ぶことにしました。最初は道南・道央。和人とアイヌの境がながく引かれてきた地から、北の旅を始めます。
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人の語りの淡い、北の大地へ
東北で巡ってきた山々には、いつも誰かの語りが先に立っていました。死者を呼ぶイタコの声、龍神の棲む湖、封じられた妖、葬られた鬼婆。人が向こう側のものを山に重ね、名を与え、恐れを語り継いできた。その語りの跡をなぞるように、装置は斜面を飛んできたのです。
北海道に渡ると、その語りの密度が、ふいに淡くなります。けれどそれは、この大地に物語がなかったということでは、けっしてありません。本州的な妖怪譚の枠が薄いというだけのことで、ここにはここの、まったく別の世界の見かたがありました。アイヌの人々が永くこの島に育んできた、カムイの観です。
カムイとは、山に、湖に、火に、熊や梟といった動物に宿るとされた神のことです。本州の「神」とそのまま重ねられるものではありません。畏れ、敬い、ときに対等に向き合う相手として、自然のあらゆるものにカムイを見てきた。山はただの地形ではなく、カムイの坐す場所でした。この見かたに、わたしは敬意をもって、けれど断定を避けて触れたいと思います。外から来た者が、その宇宙観を言い切ってしまうことは、できないからです。
もう一つ、この島には和人の歴史も重なっています。江戸のころ、本州から渡った和人は、道南の松前・渡島のあたりに暮らしの拠点を築きました。そこから北はアイヌの大地という、ゆるやかな境界がながく引かれていたのです。人の語りの濃い和人地と、カムイの大地と。その境のあたりから、装置は黄昏の光を提げて飛び立ちました。
蝦夷富士と、生まれたての山
道南・道央で装置がまず向かったのは、羊蹄山(ようていざん)です。整った円錐の姿から蝦夷富士とも呼ばれ、アイヌの言葉ではマッカリヌプリと伝えられます。富士に似た均整のとれた成層火山で、麓からどの角度に仰いでも、ほとんど同じ三角形の稜線を返してくる山です。
その南、洞爺湖のほとりには、もう一つ忘れがたい山があります。有珠山(うすざん)と、昭和新山。とりわけ昭和新山は、稀有な山です。一九四四年――いまから八十年ほど前、麦畑だった平地が、地下のマグマに押し上げられて、数か月のあいだに盛り上がり、一つの山になってしまった。人が生きて、見て、記録した時代のなかで生まれた山なのです。神話の彼方ではなく、写真に撮られ、図に引かれた時間のなかで、大地がみずから隆起してできた峰。山が「いつからそこにあったか」を、人がはっきり知っている、めずらしい山でした。
そして渡島駒ヶ岳(おしまこまがたけ)。噴火で山頂を吹き飛ばし、いくつもの尖った峰に分かれた、荒々しい姿の活火山です。整った蝦夷富士と、生まれたての昭和新山と、崩れて尖った駒ヶ岳と。一つのブロックのなかに、これだけ来歴の違う火山が並んでいることに、まず立ちどまります。
装置は、これらの山がいつ生まれたかも、何のカムイが坐すとされたかも知りません。標高の起伏を陰影に変えて、ただ顔の形を探すだけの素朴な目です。東北から提げてきた光の約束も、そのまま持ち込みました。夕日の刻――西へ大きく傾いた太陽(方位270度・高度14度)を仮想の光源に据え、長い影で斜面を彫らせる。低い斜光が起伏を深い陰に変えるあの逢魔が時に、装置は北の火山群を飛びました。「顔を作るのは、地形の険しさより、ある刻の光ではないか」――東北で、岩手の三山の順位が光ひとつで入れ替わったあの発見を、北の大地でも確かめるためです。
整った富士に十五、生まれたての山に七
黄昏の光のもとで、道南・道央の山々に立ち上がった人面を、山を中心に数えてみました。結果は、こうでした。蝦夷富士・羊蹄山が十五。有珠山と昭和新山が合わせて七。渡島駒ヶ岳が五。 そのほとんどは、明暗の偏りや起伏の配置を顔と呼ぶ寛容な目――最もよく拾うMediaPipe(水色)と、明暗のかたまりを顔と呼ぶHaar(緑)――によるものでした。
羊蹄山の十五は、目を引く数です。北海道全体を通しても、いちばん多い部類になります。けれど、ここで「整った霊峰だから顔が多い」と読むことは、わたしにはできません。整った成層火山は、頂から裾へ向かって放射状に深い谷を刻みます。その規則正しい谷筋に、低い斜光が落ちれば、明暗の縞が数多く生まれる。羊蹄の十五という多さは、蝦夷富士だからではなく、ただ斜面の刻みが豊かで、黄昏の光がそれを陰に変えただけ、というだけのことかもしれません。

これは、羊蹄山で検出器が「顔だ」と拾った起伏のひとつを、明治古写真風に描き起こした見立てです。実在の像ではありません。装置が顔と判定した斜面の明暗を手がかりに、機械が見ているかもしれない面影を、こちらが想像で像に起こしたものにすぎません。断じてはならない――けれど、整った富士の斜面に機械がいちばん多く面影を立てたという手触りだけは、控えめに手元に留めておきたいと思います。

こちらは有珠山系の起伏から描き起こした見立てです。生まれたての山・昭和新山を抱える山域に立った七つの人面のうちのひとつを、同じく明治古写真風に像に起こしました。これも実在の像ではなく、検出器が顔と判じた明暗から、こちらが描いた面影です。人が生きた時代に隆起した若い山に、機械もまた静かに面影を拾っていた――そう書いておくに留めます。
渡島駒ヶ岳の五は、三つのなかでは最も少なくなりました。崩れて尖った荒々しい山だから顔が多い、とはならなかったのです。福島で「崩れた磐梯山に最も多く顔が立った」のとは、逆の並びでした。けれどこれも、ただそれぞれの斜面のかたちが、たまたまそういう数を返しただけかもしれません。地形の来歴と顔数のあいだに、因果を引く根拠は、ここにもありません。
全域二〇九、そして厳しい目が二度折れた
山だけでなく、道南・道央の全域を、同じ黄昏の光で細かく走査してみました。隅々まで網をかけて拾われた人面は、二〇九件。そのほとんどは、明暗の偏りを顔と呼ぶ寛容な目が拾ったものです。
そのなかに、見過ごせない点がありました。人の顔の五つの点の配置にうるさい、YuNetの厳格な目が「これは顔だ」と頷いた点が、道南・道央では二つ立ったのです。YuNetは三つの検出器のなかで最も厳しく、砂嵐を走査したときも「顔など一つもない」と言い続けていた、いちばん折れにくい目です。東北では、岩手・宮城・山形で各一度、福島で二度、合わせて五回しか折れませんでした。その折れにくい目が、人の語りの淡いはずの北の大地で、いきなり二度頷いた。
これを「北海道の地形は顔が強い」と読むことは、まだしません。二つや三つの差は、斜面のわずかな起伏と、光の角度と、たまたまの巡り合わせで揺れる、偶然の度合いの話です。それでも、人の語りの淡い大地で、いちばん厳しい目が東北の各県と同じか、それを上回る頻度で折れはじめた――その手触りだけは、ここに書きとめておきたいと思います。人がどれだけ濃く語ったかと、機械がどれだけ顔を見るかは、どうやらまっすぐには結びつかないらしい。その予感が、北海道の入口でひとつ、立ち上がりました。
次は、神々の遊ぶ庭へ
道南・道央の火山群は、整った富士と、生まれたての山と、崩れた峰という、来歴のまるで違う山が一つの地に並ぶ地でした。和人地とアイヌの大地の境のあたりで、装置は二〇九の人面を拾い、厳しい目が二度折れた。蝦夷富士・羊蹄山に立った十五の人面を、北海道の最初の記録として、「日本人面地形」の七枚目の一隅に加えておきます。
次に装置が向かうのは、島の背骨をなす大雪山系です。北海道最高峰の旭岳は、アイヌの言葉でカムイミンタラ――神々の遊ぶ庭と呼ばれてきました。アイヌの宇宙観の核に触れる名です。氷河期の記憶を刻む山々と、海の彼方に立つ孤峰・利尻へ。逢魔が時の標準光を提げたまま、和人とアイヌの境から、神々の庭へ。北の旅を、もう少し続けたいと思います。