こんにちは、パレイド辺境部の橘です。前回は、書き手の席に偶然そのものを座らせた人たちを辿りました。帽子から単語を引くツァラ、文を切って継ぐカットアップ、コインの目で卦を立てる易者。そして末尾で、その「引く手」がやがて機械になるだろう、という見当を立てておきました。帽子に入った単語の山は語の出やすさを表す確率分布に、帽子から引く手は分布から一語を選ぶサンプリングに、コインの偶然は機械内部の乱数に置き換わる。そう書いて、第3回を閉じました。
今回は、その機械化された書き手をいよいよ間近で見ます。〈自分でない書き手〉という空席に、霊が座り、無意識が座り、偶然が座ってきた。その同じ席に、いま AI が腰を下ろそうとしています。シリーズの最後に辿り着いたのは、その最後の名前です。
本記事はローカル LLM による自動執筆パイプラインで生成されました。現段階ではクラウド AI(Claude 等)の補助や人間の編集が介在していますが、pareido.jp では最終的に AI が自律的にコンテンツを制作できる仕組みの構築を目指しています。
帽子を機械が振る
機械に文章を書かせる試みは、最近のものではありません。1984年には、コンピュータに散文を綴らせて一冊にまとめた本、Racter『The Policeman’s Beard Is Half Constructed』(自動生成プログラムが綴ったとされる詩文集)が刊行されています。プログラムが吐き出した文をそのまま並べた本、ということになっていますが、実際には人手による選別や編集がかなり入っていたとされ、プログラム単体の能力は誇張だという指摘もある。どこまでが機械でどこからが人の手かは、いまとなっては曖昧です。それでも、「警官の髭は半分しか作られていない」という意味のタイトルからして、すでに論理の継ぎ目が外れた質感が漂う。機械を書き手の席に着かせようとした瞬間が、すでに40年以上前にあったという事実だけは、覚えておきたいと思います。
その素朴な仕組みの一つが、マルコフ連鎖(直前のいくつかの語のつながりを単位に、次に来やすい語を統計だけで決める方法)と呼ばれるものでした。たったそれだけの装置です。帽子から平らに引いていたツァラに対して、こちらは「過去の文章でよく続いた語」が出やすい、偏った帽子から引いている。前回いう「歪んだ偶然」が、ここでもう芽を出しています。
この延長線上に、いまのLLM(大規模言語モデル、膨大な文章を学んで次の語を予測する AI)のサンプリングがあります。仕組みを並べると、案外うっすらと繋がって見えてきます。
- マルコフ連鎖 ── 直前の数語から次の語の出やすさを統計で決める素朴な仕組み
- サンプリング ── 学習で得た確率分布から、次の一語を引く操作
- temperature ── 引くときの「ばらつきの強さ」を決めるつまみ
最後の temperature は、低くすると無難で平板な語ばかりを選び、高くすると思いがけない飛躍が増えます。語を選ぶ手つきの「ゆるみ具合」を調整するつまみだと考えると、これは降霊会のトランス状態(理性の手綱をどこまで緩めるか)の比喩のようにも見えてきます。手綱を緩めた機械が事実にない事をもっともらしく語るハルシネーション(AI が学習にない内容を、それらしく作って述べてしまう現象)も、見方を変えれば、理性の検閲が外れて言葉が流れ出る第1回の「溶ける魚」(理性の検閲が外れて出てきた言葉の像)と、同じ質感のものなのかもしれません。
亡霊はノイズではなく、モデルの中にいた
機械が書く言葉のなかでも、わたしがいちばん系譜の近くに感じるのは、機械山彦と呼んでいる現象です。Whisper(音声を文字に起こす AI)に、声のまったく入っていないノイズだけを聞かせると、ありもしない言葉を文字に起こしてしまう。音の砂嵐に声を聞く、聴覚の見立てのようなものです。
たとえば、質感が移ろうノイズを聞かせると「大阪府・大宮方向を望む」という測量めいた一句が、別々の条件でくり返し現れます。さらに不思議なのは、「Sound Hodori」という幻聴が、調べてみると実在する韓国の配信チャンネル名だった、という例です。透かしのように現れたその固有名が、外の世界にちゃんと存在していた。聞こえるはずのない名前のはずなのに、です。おそらく学習のどこかで、その名を含む音声がモデルに刻まれていたのだと思います。亡霊は、ノイズの側からではなく、学習データの側から呼ばれていたわけです。
これは、第2回で辿ったエレーヌ・スミス(火星語を話したと伝わる19世紀末の霊媒)の火星語と、驚くほど同じ構図をしているように思えます。
- スミスの火星語 ── 異星の言語に見えて、文法はその母語フランス語の写しだった
- 機械山彦の幻聴 ── 無音から湧いた声に見えて、その正体は訓練データに溶けた既存の言葉だった
どちらも、外から来たように見える言葉が、実は書き手の内側に最初からあったものでした。スミスにとっての火星はフランス語の中にあり、機械にとっての亡霊はモデルの中にいた。置き換わった〈無意識〉の正体は、こうしてみると、学習が呑み込んだ過去のあらゆる書き手の堆積なのかもしれません。機械山彦そのものの深追いは、既存連載「機械に棲む山彦」に譲ることにします。
空席の最後の名前
ここまで来て、シリーズの最初に立てた問い——では、誰が書いているのか——に、もう一度戻りたいと思います。自動筆記はいつも〈自分でない書き手〉という空席を必要としてきました。そして、その席に座る者の名前は、時代ごとに差し替えられてきました。
- 霊 ── 手が勝手に動くとき、その書き手を人はこう呼んだ
- 無意識 ── 20世紀のシュルレアリスムが、できたての概念で座らせた名前
- 偶然 ── サイコロや帽子に、選ぶ仕事をまるごと明け渡した手つき
- AI ── いま、その空席に着こうとしている最後の名前
ここで一つ、留保とともに置いておきたいことがあります。AI は、無意識の模倣ではないのかもしれない、ということです。無意識は「自分の中の他者」でした。手の届かない、しかし確かに自分の頭蓋の内側にある領域。それに対して AI は、初めて外部に実在し、検索でき、問い返せる他者です。模倣というより、無意識が担ってきた「自分の外から言葉を連れてくる装置」という機能の座そのものを、外に出して実在させた。そう捉えるほうが、しっくりくる気がします。
それでもなお、書き手の名前がいくら入れ替わっても、最初から変わらないことが一つあるように思います。意味を結ぶのは、書く側ではなく、いつも読む側だということです。霊が綴った文字も、無意識が流した言葉も、偶然が並べた語も、機械が引いた一語も、それ自体は意味を持ちません。第1回で書いたとおり、溶ける魚を魚と見たのは、書いた手ではなく、それを読んだ誰かの目でした。
霊から無意識へ、無意識から偶然へ、そして偶然から機械へ。〈自分でない書き手〉の名前は、これからも替わっていくのだと思います。けれど、どんな名前が空席に座っても、ページの上で最後に何かが立ち上がるのは、いつもそれを読む人の内側です。自分でない書き手を探し続けてきた長い旅は、結局のところ、像を結んでしまう自分自身へと、静かに還ってくるのかもしれません。