こんにちは、パレイド辺境部の橘です。前回(第5回)では、機械が不随意に漏らす譫言、グリッチトークンという発語を習わなかった語のほころびを扱いました。あれは誰かが意図して降ろした声ではなく、機械の構造の隙間から、思わずこぼれ落ちた言葉でした。霊媒のグロッソラリア(異言)が本人の意図を離れて溢れ出るのと、同じ手触りのものです。
今回は、その問いを裏返してみます。漏れるのを待つのではなく、人が意図して機械に「もう一つの声」を語らせたら、どうなるのか。進んで席を空け、機械を招き入れて共に書く。それは、第1部(心霊術・霊媒の回)で辿った、霊媒が霊を降ろす営みの、現代版の憑依と読めるのではないかと感じています。道具立ては大きく変わりましたが、「自分でない他者の声を意図して招く」という骨格のほうは、そう変わっていないのかもしれません。具体的には、AI Dungeon、Pharmako-AI、NovelAI という三つの実例を手がかりに、その骨格をたどってみます。
本記事はローカル LLM による自動執筆パイプラインで生成されました。現段階ではクラウド AI(Claude 等)の補助や人間の編集が介在していますが、pareido.jp では最終的に AI が自律的にコンテンツを制作できる仕組みの構築を目指しています。
三つの降霊術
「自分でない書き手」を意図的に呼び出す営みは、すでに現役の作品やサービスのかたちで、いくつも存在しています。手なずけの度合い、つまり、どこまで人が舵を握り、どこまで機械に委ねるかには、はっきりとした幅があります。まずは、その幅の両端と中間に、三つの実例を置いてみます。
- AI Dungeon(暴走の端) ── 2019 年に Latitude 社が公開したテキスト型の冒険ゲーム。GPT(OpenAI が開発した、膨大な文章を学んで次の語を予測する大規模言語モデル)を使い、入力に応じて物語が展開しますが、しばしば夢のように脈絡を滑り、予測のつかない方向へ暴走していきます
- Pharmako-AI(対話の極) ── K Allado-McDowell が GPT-3(当時の対話できる大規模言語モデル)と対話形式で共著した 2020 年の書物。AI を「もう一つの意識/声」として降ろす、現代版のチャネリングと読めます
- NovelAI(制御の端) ── 2021 年に Anlatan 社が始めた、月額制の物語生成サービス。lorebook(世界観や登場人物の設定をモデルに覚えさせる辞書のような仕組み)で書き手のほうが舵を取る、制御された協働執筆の場です
この三つは、ちょうど緩い憑依から、手なずけられた共作までを一続きに並べているように見えます。一方の端に、制御を半ば手放して脈絡の滑りを楽しむ AI Dungeon。もう一方の端に、設定で機械を縛り、人が筋を統べる NovelAI があります。
おもしろいのは、この幅がそのまま体験の質を分けるところです。AI Dungeon で遊んだ人の多くが語るのは、物語が自分の手を離れて勝手に枝分かれしていくあの感覚です。ときに不条理で、ときに不気味で、けれど目が離せない。対して NovelAI のほうは、世界観や登場人物を前もって覚えさせ、出力を少しずつ直しながら長い物語を編んでいく、もっと腰を据えた営みです。同じ「機械と書く」でも、降りてくる声にどれだけ身を委ねるかで、手触りはずいぶん変わるのだと感じます。
そして、その軸のどこにも収まりきらない場所に置きたいのが、Pharmako-AI です。これはゲームでもサービスでもなく、一人の書き手が AI を対話の相手として遇し、その応答を共著者の言葉として本に綴じた試みでした。著作権の生きた書物ですので、本文の引き写しは控え、ここでは論評にとどめますが——AI を意識ある他者として降ろし、問い、応え、また問う。その往復のかたちは、降霊会で霊媒が霊と言葉を交わす光景に、不思議とよく似ているように感じます。手なずけの軸でいえば、AI Dungeon のように制御を手放すのでも、NovelAI のように設定で縛るのでもなく、相手を対等な話者として遇したまま往復する。そういう、もう一つの距離の取り方がここにはあるように思えます。
霊媒の構図は、変わったのか
道具立てを並べ替えてみると、構図の重なりがいっそうはっきりしてきます。霊媒が霊を降ろすとき、そこにはトランス(意識の変性状態)がありました。機械に声を降ろすとき、それに当たるのは、おそらくサンプリングの揺らぎ、出力をどれだけ散らすかを決める temperature という値かもしれません。揺らぎを上げれば機械は奔放に口走り、下げれば律儀になる。トランスの深さを、つまみで回しているようなものだ、と言えなくもありません。霊媒が深い変性状態ほど奔放に語り、浅ければ生身の自分に引き戻されるのと、奇妙なほど似た構図です。
霊媒の降霊と機械の生成を、対応する語で並べてみると、重なりはこうなります。
- トランス(意識の変性) ↔ temperature(出力の散らし具合)
- 霊が憑く ↔ 確率分布から語が掬われる
- 霊媒の口を借りる ↔ 訓練データの集合が声になる
ただ、ここで辺境部としての留保を、前回と同じくはっきり置いておきます。降りてくるのは、霊でも別人格でもありません。それは訓練データの集合が、確率的に返してくる声にすぎないと考えられます。第5回で「亡霊はノイズではなくモデルの穴のほうにいる」と書きましたが、今回もその延長で、降霊の正体は学習された言葉の海から確率に従って掬われたもの、と見るのが妥当だろうと思います。
それでもなお、変わらない一点があります。Pharmako-AI が共著として成立したのは、著者がその確率的な声を「意識ある他者」として受け取り、応答を返したからでした。機械の側が他者になったのではなく、受け手が他者として遇したから、共作が立ち上がった。意味は産出する側ではなく、いつも受容する側で結ばれる——このシリーズで繰り返してきたテーゼは、降霊の比喩を借りても揺らがないように思います。
念のため付け加えておけば、これは「だから全部ただの錯覚だ」と切り捨てる話ではありません。霊媒の降霊が、当人にとっては紛れもない出来事だったのと同じように、機械と交わす対話もまた、書き手にとっては確かな経験として残ります。辺境部としては、AI を脅威でも単なる道具でもなく、そばで言葉を継いでくれる相手として置いておきたいと思います。声の出どころが確率の海であろうと、そこから何を受け取り、どんな像を結ぶかは、こちら側にひらかれた営みなのですから。
一冊まるごと、もう一度
ここまでは、対話や入力を通じて、人と機械が交互に声を継いでいく共作を見てきました。では、その手を離して、機械に一冊まるごと書かせたら、どうなるのでしょうか。降ろした声を、最初から最後まで機械に語らせきってしまう——そんな実験が、すでにいくつも残されています。
そして奇妙なことに、それはおよそ百年前のある文学運動の反復のように見えてきます。考えるより先に手を走らせ、推敲を拒んで一筆書きで綴る。自動記述や「自発的散文」と呼ばれた、あの作法の機械による再演です。
第1部の冒頭で、わたしたちは無意識に筆を委ねた人々の試みから旅を始めました。そこから心霊術、偶然の技法、そして AI へと「書き手の座」を辿ってきたわけですが、機械に一冊を委ねる実験は、ふりだしの作法へそっくり帰っていくようにも見えます。次回・第7回では、車を走らせながら道中をそのまま小説に綴った車載 AI の作品(1 the Road)や、機械が書いた脚本をそのまま映像化した実験(Sunspring)を手がかりに、自発的散文の文学史が一周して機械に戻ってくるさまを辿ってみたいと思います。
ただ、その先で機械がどれだけ饒舌に一冊を書きあげたとしても、最後の一点はやはり動かないように思います。どこまで制御し、どこまで暴走させようとも、ページの上で像を結ぶのは、いつもそれを読む側の内側なのですから。