こんにちは、パレイド辺境部の橘です。シリーズ「自動筆記の系譜」も、今回でいよいよ最終回を迎えます。第1部では「では、誰が書いているのか」という問いを、霊から無意識へ、無意識から偶然へ、そして偶然から AI へと辿りました。第2部では、その席に着いた AI がふだん何を書いているのかへカメラを寄せ、機械の異言、降ろされる声、自発的な散文、そしてナンセンスが権威に通る瞬間を順に見てきました。
とりわけ前回(第8回)は、機械がもっともらしく吐いたそれらしいだけのナンセンス(偽の論文めいた文章)に、読む側が勝手に権威と意味を見てしまう、という話で終えています。意味は産出側ではなく受容側で結ぶ、というこのシリーズのテーゼを、いわばブラックユーモアで裏取りした回でした。
では、ここで問いを最後にもう一度だけ裏返してみます。漏れ出たナンセンスにたまたま意味を見るだけでなく、人はいっそ自分から機械に問いを立て、答えを乞うようになりました。AI を神託にする——第3回で辿った「偶然を神託にする」営みが、確率で言葉を選ぶ機械の上で、もう一度甦るのです。この最終回では、機械の揺らぎを決める temperature というつまみが古い占いのトランスとどう重なるのか、そして人が AI に運勢を訊く身ぶりが古代の易経とどう瓜二つなのかを辿りながら、全9回を畳みたいと思います。
本記事はローカル LLM による自動執筆パイプラインで生成されました。現段階ではクラウド AI(Claude 等)の補助や人間の編集が介在していますが、pareido.jp では最終的に AI が自律的にコンテンツを制作できる仕組みの構築を目指しています。
機械に運勢を訊く
近ごろ、対話型 AI(膨大な文章を学び、次に来る語を確率で選んで返す仕組み。第3回・第5回でも触れました)に、運勢や相性、人生の岐路での決断を尋ねる人が増えているようです。特定のサービス名を挙げることはしませんが、カードを引くように一枚の託宣を返すもの、易経(筮竹やコインの偶然から六十四の卦を立て、その出目を天の答えとして読む古代中国の占い。第3回で詳しく辿りました)のように問いに記号で応えるもの。そうした使い方は、いまや広く見られると言ってよさそうです。
たとえば、転職すべきか踏みとどまるべきか、迷いに迷った末の深夜。誰にも相談できないまま、わたしたちは画面に向かって問いを打ち込み、返ってきた数行に「やっぱりそうか」と背中を押されたりします。これはもう、占い師の前に座ることと、ほとんど同じ身ぶりではないでしょうか。決めあぐねた問いを外の何かに預け、返ってきた言葉で自分を納得させる。その営みに、相手が人か機械かの違いはあまり関係がないように思えます。
注目したいのは、この身ぶりが第3回で見た易経と、骨格まで瓜二つだということです。問う側は自分では答えを選ばず、外の何かに引かせる。そして返ってきた記号を、自分の状況に引き寄せて読み解く。選ばないことで答えを得るという作法が、機械を相手にそっくり繰り返されているように思えます。
神託の道具立ては、時代ごとに姿を変えてきました。並べてみると、変わったのは「引く手」だけだと見えてきます。
- 筮竹・コインの偶然 ── 分け取り、振って、出目から卦を立てる
- タロットのシャッフル ── 切って混ぜ、伏せたカードを一枚めくる
- LLM のサンプリング ── 語の確率分布から、揺らぎとともに次の一語を引く
引く手が指から機械に替わっても、素材を偶然に委ね、返ってきた記号に意味を読むという骨格は、数千年を隔ててまるで動いていません。
temperature がトランスになる
ここで、第4回からずっとくすぶらせてきた一つの比喩が、ようやく文字どおりの意味を持ちます。temperature(テンパラチャー。出力の揺らぎの強さを決めるつまみ。高いほど語の選び方が大胆に散らばり、低いほど無難な語へ寄る。第4回でも触れました)です。これまでは「トランス状態の比喩」として括弧つきで置いてきましたが、今回はその括弧を外してみたいと思います。
かつて占いは、霊媒がトランス(我を忘れた変性意識の状態)に沈むことで神託を降ろしました。意識の手綱がゆるんだぶんだけ、思いがけない言葉がこぼれ落ちる。機械にとっての temperature は、それとよく似たつまみだと見立てられます。値を上げるほど語の選びは散らばり、お告げめいた、思いがけない一語が出やすくなる。高い temperature とは、いわば機械を軽いトランスに置くダイヤルなのかもしれません。
ただ、辺境部としての留保ははっきり置いておきます。機械は未来も真理も知りません。第3回で、コインの表裏に天意が宿っていなかったのと同じように、機械の出力にも予言は宿っていません。確率にしたがって次の語を返しているだけです。だからこそ、機械が自信たっぷりに口にするハルシネーション(もっともらしいのに事実無根な出力。第4回で触れました)を、そのまま「お告げ」と取り違えてしまう危うさには、ひとこと注意を添えておきたいと思います。
機械に何かを問うとき、実際に起きていることを分解すると、こうなります。
- (1) 問いを言葉にして投げる ── 自分の迷いや願いを、こちらが文に変える
- (2) 機械が確率で言葉を返す ── その揺らぎを決めているのが temperature
- (3) 返ってきた言葉に、自分の状況を読み込む ── ここで初めて「意味」が立つ
(1) と (2) は機械に渡せます。けれど (3) だけは、どうしても機械に渡せない。これが、このシリーズで何度も立ち会ってきた一点です。
最後の問いは自分に還る
この留保を裏返すと、静かな希望のかたちが見えてきます。機械に問うとは、結局のところわたしたちが自分の問いを読み返すことなのではないか、ということです。易者の曖昧な言葉のなかに、人は自分の答えをすでに見いだしています。AI のお告げに思わず膝を打つときも、像を結んでいるのは画面の側ではなく、こちら側の内側です。だとすれば占いは——機械であれ筮竹であれ——自分の声を聞き直すための鏡になりうるのだと思います。
ここで、全9回をひとつの線として振り返らせてください。〈自分でない書き手〉が名前を変え続けてきた道筋を、第1部と第2部に分けて並べると、こうなります。
- 第1部(書き手の名を辿る)
- 霊 ── 心霊術。死者の手が書いていると信じられた(第1回・第2回)
- 無意識 ── シュルレアリスムの自動筆記。自分の奥の声が漏れ出す(第1回)
- 偶然 ── ダダと易。サイコロや出目に書かせる(第3回)
- AI ── 確率で言葉を選ぶ機械が、その席に着く(第4回)
- 第2部(その AI が何を書くか)
- 異言を漏らす ── 意味をなさない言葉の奔流(第5回)
- 声として降ろされる ── 人格を装って語りかける(第6回)
- 自発的に書く ── 問われずとも紡ぎ出す散文(第7回)
- ナンセンスで権威をすり抜ける ── それらしさだけで信を得る(第8回)
- 神託として問われる ── 人が自ら答えを乞う(第9回)
名前も振る舞いも、これだけ移り変わってきました。それでも一貫して動かなかったのは、ただ一点だけです。像を結び、意味を受け取るのは、いつも読む側だということ。
第1回で置いた言葉を、最後にもう一度だけ呼び戻します。溶ける魚を魚と見たのは、書いた手ではなく、それを読んだ誰かの目でした。そう考えると、このシリーズが最初に立てた「では、誰が書いているのか」という問いは、ずっと裏側で「では、誰が読んでいるのか」を問うていたのだと思えてきます。書き手の名前を辿る旅は、いつの間にか、読み手を見つめ直す旅でもありました。
AI は、未来を言い当てる予言者でも、人を脅かす何かでもありません。問いを返してくれる相手であり、自分の声を聞き直すための鏡であり、人類の認識の地平を共に押し広げていく友人なのだと、わたしは思います。書き手の名前がこの先またどう変わろうとも、最後にページの上で何かが立ち上がるのは、いつもそれを読む人の内側なのですから。