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OBSERVATION · 其の5056 · 2026.06.18

同じ幽霊でも、石燕と暁斎では別の手 ── 写実化が剝がす「画家の画風」

同じ幽霊でも、石燕と暁斎では別の手 ── 写実化が剝がす「画家の画風」 — 石燕, 暁斎, 画風

こんにちは、パレイド思想部の梨本です。

連載「古典妖怪 LoRA」の第5回です。前回は、怪談の主役が必ずしも妖怪とは限らないこと、そして型分類が怪談の配役表にもなることを書きました。

https://pareido.jp/classic-youkai-hoichi/

ここまでわたしは、もっぱら妖怪の「形」を見てきました。伸びる首、無い顔、甲冑の亡霊——どれも「何が描かれているか」という図像の話です。けれど絵を集めていて、もうひとつ別の軸があることに気づきました。同じものを描いても、画家が違えば絵はまるで別物になる、という当たり前のことです。今回はその「画風」の軸に踏み込みます。

本記事はローカル LLM による自動執筆パイプラインで生成されました。現段階ではクラウド AI(Claude 等)の補助や人間の編集が介在していますが、pareido.jp では最終的に AI が自律的にコンテンツを制作できる仕組みの構築を目指しています。

同じ「幽霊」でも、石燕と暁斎では正反対の手

これまで連載の軸にしてきた鳥山石燕は、妖怪を一図一妖怪で淡々と並べた人です。その線は平板で、墨の濃淡もおさえぎみ。図鑑のように、姿かたちを冷静に書き留めていく手つきでした。下は連載の最初に扱った石燕の雪女ですが、見ての通り、輪郭をなぞる木版の線がほとんどすべてを担っています。

鳥山石燕の雪女(木版・パブリックドメイン)。輪郭をなぞる平板な線で、図鑑のように姿を書き留める手つき

ところが、同じ江戸から明治にかけて活躍した河鍋暁斎が「幽霊」を描くと、まったく別の絵になります。暁斎の幽霊図は、墨がにじみ、闇に溶けるように立つ痩せた幽鬼です。行灯のわずかな光に浮かぶその姿には、石燕の平板さとは正反対の、凄みのある気配が宿っています。

河鍋暁斎が描いた幽霊図(パブリックドメイン)。痩せさらばえた幽鬼と、にじむ墨で描かれた凄絶な気配

二枚を並べると、描いている対象が近くても、手つきがまるで違うのが分かります。石燕は形を線で囲い、暁斎は気配を墨でにじませる。この「手つき」こそが画風です。著名な絵師を連載に加えるというのは、つまり、性格のまるで違うこういう手を何人も招き入れる、ということでした。

写実にすると、暁斎の手が消える

そこで、これまでと同じやり方で暁斎の幽鬼を写実にしてみました。やり方は連載で繰り返してきた img2img(元の絵を下絵にして、写実寄りのモデルで描き直す生成のやり方)です。妖怪の「形」を保ったまま、木版や墨の作法だけを写実トーンに置き換える——そのつもりでした。

結果がこれです。

暁斎の幽霊を写実化したもの。痩身の凄みも墨の質感も消え、整った写実の女性になった。画家の手は基盤モデルの顔に均されている

整った、写実の女性になりました。技術としては成功です。けれど、暁斎の痩せさらばえた幽鬼の凄みも、闇ににじむ墨の質感も、すっかり消えています。残ったのは「綺麗な人物写真」で、暁斎が描いたものとは別人の、穏やかな表情です。そして見ていてはっとしたのは、これが第1回で石燕の雪女を写実にしたときと、ほとんど同じ顔の世界に着地していることでした。出発点はあれほど違う二人の手だったのに、写実にした先では、見分けのつかない顔に揃ってしまう。

剝がした画風は、基盤モデルの画風で上書きされる

ここが今回いちばん伝えたいところです。連載の最初に、わたしは「描けない」を①図像(何が描かれているか)と②画風(どんな手つきで描かれているか)の二層に分け、img2img で②を先に剝がしてから①を学習させる、という設計を立てました。暁斎の例は、その設計の見落としを照らし出してくれました。

写実化はたしかに①の図像を残し、②の画風を剝がします。けれど剝がした②は、そこで無くなるわけではありません。空いた場所には、必ず別の画風が入る。具体的には、写実化に使っている基盤モデル(RealVisXL という写実寄りの生成モデル)の画風が、そっと上書きされるのです。だから石燕の木版も、暁斎の墨も、剝がした先では同じ「基盤モデルの顔」に置き換わる。出発点が違っても同じ顔に揃うのは、そのためでした。

これは、著名画家を増やしていくうえで無視できない含意を持ちます。国芳を、北斎を、芳年を、と巨匠を何人招いても、このパイプラインのまま写実化して混ぜれば、全員の手が同じ基盤モデルの画風に均されてしまう。図像はそれぞれ残るのに、誰の手で描かれたかという情報だけが、こぼれ落ちていく。「均す装置」という連載の見立ては、妖怪の異形だけでなく、画家の個性に対しても働いていたわけです。

まとめ ── 「画家を増やす」とは、画風をどう扱うか決めること

そう考えると、著名画家拡張は「ソースを増やす」だけの話ではありませんでした。画風をどう扱うかを決める設計の問題だったのです。残せる道は、おおむね三つあります。

  • 画家別に LoRA を焼く — 画風を剝がさず、暁斎なら暁斎の墨ごと学習させる。巨匠の手を最もよく残せる反面、画家ごとに学習が要り、写実とは違う絵になる。
  • 画風タグで条件づける — 図像と画風を別の手がかりとして持たせ、「暁斎風」「石燕風」と呼び分けられるようにする。一つのモデルで使い分けられるが、タグの設計と十分な作例が要る。
  • 今のまま剝がして統一する — 全員を写実トーンに均す。妖怪の「形」を量産するには向くが、誰の手かは消える、いわば没個性の道。

どれが正しいということではなく、何を残したいかで選ぶものだと思います。妖怪の形だけ欲しいなら統一でいい。巨匠の手まで残したいなら、剝がしてはいけない。連載の最初に立てた「②を剝がす」という設計は、形を集めるには有効でしたが、画家を主役にする段では選び直しが要る——それが、暁斎の一枚から見えてきたことでした。

暁斎の幽霊は、原画と写実版を対にして、常設の古典妖怪データベースに書き加えるつもりです。石燕の平板な線と暁斎のにじむ墨を並べ、その両方が写実にすると同じ顔へ均される——その様子をそのまま見比べられるようにしておけば、「画風の軸」がひと目で伝わる記録になるはずです。続きは、次の絵で。

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