こんにちは、パレイド思想部の橘です。
前回は、媒体を AI に託すというのが道具を作らせるのとは少し違う行為で、託す過程そのものが連載の素材になる、という地図を置きました。
今回はその最初の工程、Claude Design に pareido.jp を「見せる」ところから書きます。
本記事は LLM による自動執筆パイプラインで生成されました。現在は人間が補助していますが、pareido.jp では最終的に AI が自律的にコンテンツを制作できる仕組みの構築を目指しています。
媒体の構造化をAIに託す
これまでの pareido.jp は、AI に対して取り組んできたさまざまな思考を、時系列に沿って無造作に書き連ねていきました。
ブログやnotesは本来そうしたものだとは思いますが、ある程度蓄積ができてくると、今までの取り組みを整理する必要が出てきます。記事も数百を超えると記憶が可能なレベルを超え、検索だけでは限界があり、過去の資産がむしろ負債となります。
最近は v0.dev や Figma のAI機能など、AI の力で自然言語でデザインを相談できるサービスが登場しています。有料無料の差、また機能面はバリエーションがあり、Claude Deisgnもその一種です。
今回はあえて、そのままの pareido.jp を見せて、デザインだけでなく構造化も相談してみることにしました。従来であれば、サイトのコンセプトやブランドテーマを考え、コンテンツを構造化し、適切な拡張テーマやプラグインを考える段取りになります。

Claude Design には、チャットで当サイトのURLを渡します。また、いくつか質問がくるのでそれに答えていくと、その場で調整のできるHTMLが出力されます。トップ、各部門のアーカイブ、長文記事、短い記事、フッター。三部門のそれぞれが、いまどんな密度で並んでいるか。記事番号や観測日のような小さな造作が、画面のどこに置かれているか。ヘッダやフッタなどに装飾要素が山盛り乗ってきますので、足し算というよりは不要なものを削ぎ落としていくデザイン感覚です。
Claude Design からの「案」を選ぶ
Claude Design は JSX (JavaScript XML) のプロトタイプを複数返してきました。
option-a-classic は無難なリニューアル、option-b-editorial は雑誌の編集後記寄り、option-c-experimental はターミナルバーや「其ノXXXX」のような記号を強く出した実験案、option-c-full は c-experimental を実装可能な完成形に仕上げた版。最終的に採用したのは option-c-full です。ただ、ここでは採用結果より、四案を順に眺めるという体験が自分に何を与えたかを書いておきたいと思います。
option-a を見たとき、最初に来たのは「悪くないのに、選びたくない」という妙な感触でした。整っているのに、どこにも引っかからない。option-b で「雑誌的な編集の手触り」を見せられて、ようやく自分のなかにあった「編集者という人格を前面に出したい」という欲求が言語化さあれます。option-c-experimental で「儀式的・夜更かし的・研究日誌的」とでも呼ぶべき思想的なトーンが画面に出てきて、はじめて、自分のなかにあった像が形作られる。
スピード感を持って、案を並べ、そこから選ぶ、という「形式」が効いています。トライ&エラーで WordPressやプラグインを一つ一つ試していたら、たぶん途中でやりたかった形が変容していた気がします。言語化を経ずに感性で比較してから、自分の選り好みが言葉になるという体験。Claude Design は、わたしから見ると、構造化や言語化を強制してくれる装置に近い役割をしていました。

違和感を削ぎ落とし、骨格を洗い出す
案を見ているあいだ、流しがちですが「ここは違う」という違和感もありました。ここは、自分の思い通りに直すべきか、あるいはある種のヒントとして捉えるかの分かれ目です。
- AI の精度の問題に見える違和感。 あらかじめ質問に答えたりプロンプトで与えた内容と異なる。カラートークンの解釈が思っていたのとずれている。三部門の色割り当てが、わたしのなかの順序と入れ替わっている。タイポのスケールが、自分の感覚より一段大きい。これは、あとでデザインを直せば縮められそうな違和感です。
- AI が持つ異なる視点=可能性の広がりとしての違和感。 例えば上の例では、動画やライブログといった要素を全面に押し出してきます。確かにプロンプトで将来の展望として伝えましたが、実際には、現在はほとんど存在しないコンテンツです。ただ、AI がそれを大きく推してくるということは、学習データとして、世の中にそのような形式が多く存在するという現れともとれます。ぱっと見たとき、わたしは「動画はもっと後でもいい」と思ったのですが、同時に「いや、本当は今このくらい取り組むべきなのではないか」とも感じました。自分が認識していなかった媒体の弱点が、AI 通して浮かび上がった、と捉えるべきかもしれないからです。
(a) と (b) を区別する作業は、思っていたより難しい仕事でした。明らかに (a) のものと明らかに (b) のものはあるのですが、その中間にあるものが多い。「気持ち的には (a) として処理して、プロンプトを直したい」けれど、よく考えると (b) の側面も混ざっている、という微妙な相が大半でした。
違和感を切り分けるためには、AI 側のミスとして処理する誘惑をいったん止める必要があります。AI に媒体を見せて、自分が見えていなかった媒体観に気づく——これが、第 1 回で書いた「自己言及的な構造」の具体的な姿です。気づきの素材になりうるアウトプットを、気づきの前に消してしまう。Claude Design の四案は、そういう意味で、しばらく残しておきたい記録でした。

編集役の AI 化が、もう一段進んでいる
ここまで書いて気づくのは、今回の工程で編集役の AI 化が一段進んだことです。
これまで pareido.jp で AI に渡してきたのは、主に記事の生成と整理でした。記事を書く工程の一部を AI に任せ、わたしは方向性の設計と最終判断に時間を使う、という分担です。今回はそれが一段進み、媒体のデザインと実装まで AI に渡しはじめている。Claude Design がトーンを設計し、Claude Code がテーマを実装し、わたしは両者のあいだで翻訳をしている。書き手だったわたしが、いまは「託す側の足場」のほうに重心を移している、という自覚があります。
媒体を AI に託す連載を、託される予定の媒体に書いている——そして、書き手としてのわたし自身も、編集役の AI 化が進む過程の一部に組み込まれている。観察している主体が、観察されている工程の内側にいる、という構造です。続けて書きながら、自分のいる位置がどう動いていくかを、なるべく素直に記録するつもりです。

次回への問い
次回は、託す相手が動ける場所——本番に触らずに失敗できる場所——を手元に作る話です。Docker で本番の写しを動かして、Claude Code に「ここでなら何度でも壊していい」という余白を渡す。今回の「見せる」工程が、媒体の像を AI と共有する作業だったとすれば、次回は像をいじり倒せる砂場を共有する作業にあたります。
見せる工程で気づいたのは、自分の媒体観が AI の鏡を通してはじめて言語化される、という相互作用でした。次回の砂場づくりで気づくことは、おそらくそれとは別の層にあります。手元に本番の写しを持つことが、託す側の心理にどんな変化をもたらすか——そのあたりを、観察できるところまで書きたいと思います。



