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OBSERVATION · 其の7148 · 2026.07.22

【パレイドリア奇譚 03】人面魚 ── 金魚に描かれた顔、魚に見つけた顔

【パレイドリア奇譚 03】人面魚 ── 金魚に描かれた顔、魚に見つけた顔 — 人面魚, 錦鯉, 浮世絵

こんにちは、パレイド辺境部の橘です。

前回のお菊虫の最後に、次は市場に並んだ人面魚か、秩父の珍石館に集められた人面石か、と行き先を断定せずに書きました。今回は、そのうちの人面魚を辿ります。ただし先に断っておくと、この回は少し勝手が違います。人面魚として名を馳せた当の魚の写真が、今回はどうしても手元に揃わなかったからです。代わりに手にしているのは、その百三十年ほど前に描かれた、一枚の浮世絵です。

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池の錦鯉が「人面魚」と呼ばれた

1990年代のはじめ、山形県鶴岡市にある善寳寺の貝喰の池で、一匹の錦鯉が話題になりました。その模様や顔つきが人間の顔のように見えるとして、雑誌やテレビに取り上げられ、「人面魚」という言葉とともに全国的なブームになった、と日本語版のWikipediaは伝えています。池のほとりには見物人が集まり、顔のある魚を一目見ようと人が流れた。前回までのベルメスの床やお菊虫の蛹と同じで、ここでもまた、ひとつの見立てが人の足を動かしています。

ただ、この回では、その当の錦鯉の写真をお見せすることができません。当時ブームになった個体を撮った、掲載に足る自由な写真を、今回は調達できませんでした。実写確認できたものだけをクレジット付きで載せる、というのがこの連載の方針なので、貝喰の池の人面魚そのものについては、機械の目にかけることを見送ります。ここは文章だけで、そういう魚がいたと言われている、と書いておくにとどめます。

江戸の絵師は、魚に顔を描いていた

その代わりに眺めたいのは、1990年代の人面魚ブームよりずっと前から、この列島に「魚に人の顔を重ねる」文化があった、という事実のほうです。文久3年、西暦でいう1863年、落合芳幾という絵師が「見立て似たかきん魚(きんぎょ)」という一枚を描いています。芳幾は一恵斎芳幾とも名乗り、あの奇想の絵師・歌川国芳の門下で、天保4年(1833年)に生まれ明治37年(1904年)まで生きた人です。海外の目録では Utagawa Yoshiiku の名で記録されています。

この絵に描かれているのは、金魚や鯉や亀です。しかしその魚たちの体には、当時人気を集めた歌舞伎役者の顔が、それぞれ組み合わせて描き込まれています。顔は役者の似顔絵になっていて、魚の胴の模様には各役者の紋があしらわれている。「え〜、金魚〜、金魚え〜」という金魚売りの呼び声をもじった洒落たタイトルまで付いています。師の国芳にも、金魚が人間さながらに暮らしを演じる「金魚づくし」という揃物(天保期、全9図)があり、魚を人になぞらえる遊びには一つの伝統がありました。

ここで、はっきり書き分けておきたいことがあります。ベルメスの床のシミも、お菊虫の蛹も、貝喰の池の錦鯉も、人の手が顔を描いたわけではありません。偶然できた模様に、人の側が勝手に顔を読み取った。それがパレイドリアです。ところがこの浮世絵の顔は違います。絵師が、意図して、そこに人の顔を描いた。偶然が見せた顔ではなく、最初から顔として設計された顔です。だからこの一枚は、人面魚という現象そのものの写真ではありません。人面魚が話題になるはるか前に、すでに人が魚と顔を重ねて遊んでいた、その前史として置いておく一枚です。

機械は、描かれた顔に反応した

この浮世絵に、日本人面地形や擬態岩探訪、そして前二回で使ってきた顔検出器——Haar、YuNet、MediaPipe——を、そのまま向けてみました。

浮世絵「見立て似たかきん魚」に顔検出器をかけた結果。画面中央上部の鯉に描かれた顔を、最も厳格なYuNetが確信度0.84で検出した
見立て似たかきん魚(落合芳幾/一恵斎芳幾, 文久3年=1863年)。画像: Wikimedia Commons (File:Mitate_Yotaka_Kingyo.jpg), パブリックドメイン。ボストン美術館蔵。検出枠は筆者付与

結果は、これまでの二回とはっきり違いました。画面の中央上部にいる、大きな灰色の鯉。その体に描き込まれた顔に、三つのなかで最も厳格な目であるYuNetが、確信度0.84という高いスコアで反応しました。5点の幾何配置で顔を判定するこの検出器は、ベルメスの床では何も見つけず、お菊虫の蛹でも沈黙していました。その厳しい目が、今回は迷いなく顔を囲んだのです。局所の明暗を拾うHaarも同じ場所に反応し(スコア6084と13456)、うち一件はYuNetとほぼ同じ位置、もう一件は少し下にずれた第二の顔の部分を捉えていました。反応しなかったのはMediaPipeだけでした。

これは、考えてみれば当たり前の結果です。絵師が実際に人の顔として描いたものを、機械が顔として認識した。ただそれだけのことです。けれど、この当たり前さにこそ意味があると感じます。ベルメスでは最も緩いMediaPipeだけが低い確信度でぼんやり囲み、お菊虫ではどの検出器もゼロ件でした。あの沈黙や及び腰は、検出器が壊れていたからでも、顔の検出そのものが不得手だったからでもない。本物の顔を見せれば、いちばん厳しいYuNetでもきちんと反応する。今回の0.84が、それを裏側から証明しています。

言い換えると、これは一種の対照実験です。実験で機器がちゃんと動いているかを確かめるために、答えの分かっている試料をあえて測ることがあります。今回の浮世絵は、その「答えの分かっている試料」にあたります。描かれた顔には高いスコアが出た。だから、前二回で機械が黙っていたのは、対象が本当に曖昧だったからだ、と落ち着いて言えるようになりました。人が見た顔と機械が見た顔のずれは、機械の不調が作った幻ではなかったわけです。

描いた顔と、見えた顔

人が顔を見た場所の正体を辿る。それが、日本人面地形や擬態岩探訪、機械に棲む山彦、そしてこの奇譚を貫く一本の線です。今回はその線の上に、少し毛色の違う一件が並びました。偶然の模様に顔を読み取ったベルメスやお菊虫に対し、江戸の絵師は最初から顔を描いていた。描いた顔と、見えた顔。機械はその二つを、あっさり見分けてみせました。描かれた顔には0.84で頷き、偶然の模様には黙るか、緩い目でぼんやり囲むだけだった。

貝喰の池の錦鯉が、描かれた顔と見えた顔のどちらに近かったのかは、実写を機械にかけられなかった今回、確かめようがありません。そこは池の魚として、また別の機会に写真が手に入ったときの宿題にしておきます。次はいよいよ、秩父の珍石館に集められた人面石を辿るつもりです。かつてテレビでも紹介された、石のなかに顔を見出す営みの実例です。ただ、これも掲載に足る写真をまだ探している途中なので、今回のように文章だけで進むことになるかもしれません。描いた顔から、見えた顔へ。もう一件、顔を見た場所を辿りにいきます。

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