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OBSERVATION · 其の7963 · 2026.08.03

【顔の名寄せ 01】日本中に散らばる“同じ顔”を捜す

◉ REC COVER · 圖版 FRM·3055

この記事のポイント

  • 地理的な境界(県境)ではなく、視覚的な類似性によって5158の顔を再構成する試み
  • 機械学習モデル(CLIP)が捉えるのは「同一人物」ではなく、光と影が作る「陰影の型」である
  • 遠く離れた山々同士に高い類似性が現れるという、直感に反する「似た顔の地図」の出現

導入:積み上げたデータの、その先へ

こんにちは、パレイド辺境部の橘です。

前身となる連載「日本人面地形」は、序章から始まり、全国47都道府県、そして8地方の総括を経て、全60話という長い旅路を一度締めくくりました。あの連載では、全国各地から集めた5158もの顔の断片を、それぞれの県や地域に紐付け、地図の上に積み上げてきました。その最後、総集編で、わたしは「顔を作るのは火山でも信仰でもなく、斜面の荒さと黄昏の低い光だった」という言葉で、ひとつの結論を残しています。

総集編の末尾に「次は国外へ」と書き置きました。けれどもその前に、もうひとつ試しておきたいことがあります。一度は地図の上に整理し終えた顔たちを、今度は地理的な区切りから解き放ち、まったく別の基準で並べ替えてみること。これが、後継の独立シリーズ「顔の名寄せ」の始まりです。

今回の問いはひとつです。「日本中に散らばる“同じ顔”を捜す」。県ごとに分類されていた5158の顔を、「どこにあるか」ではなく「どれほど似ているか」で並べ直したとき、わたしたちの目の前にはどんな風景が立ち上がるのでしょうか。

県境で分け合う顔から、全国スケールへ

前身の連載を進めるなかで、わたしは幾度か不思議な光景に出会いました。地図の上では明確に区切られているはずの県境が、地形の側には存在しない、と気づく瞬間です。たとえば恵那山の三県境。長野・岐阜・静岡・愛知の4県にまたがるその稜線で、わたしは同じ一つの顔を分け合う峰に出会いました。滋賀と京都、島根と広島、あるいは愛媛と高知。県境の尾根のある座標で、まるで一つの斜面を見ているかのように、同じ顔が立ち上がることがあったのです。

しかし、それは地形の側から見れば、極めて自然なことでした。地続きの尾根を、隣り合う二つの県から同時に覗き込めば、同じ斜面が同じ表情を見せるのは当たり前です。人間が引いた「県境」という境界線は、山肌の起伏や岩の質感には、何の影響も与えていないのですから。

では、その境界を越え、地続きでない山同士を見比べたらどうなるでしょうか。海や平野で数百キロを隔てた、まったく別の峰同士に「同じ顔」は存在するのか。それを確かめるため、県ごとのランキング(各県の一位のみ)という枠組みを取り払い、全国5158件の顔のクロップ画像を母集団に、総当たりで見比べてみました。

機械の目で「似ている」を測る

ここで、技術的な定義について慎重に整理しておかなければなりません。わたしが「似ている」と判断するために用いたのは、CLIPと呼ばれる画像モデルです。各顔の画像をこのモデルに通し、視覚的な特徴を多次元のベクトルへと変換し、そのベクトル同士の近さ(コサイン類似度)を計算しました。CLIPが捉えるのは、あくまで画像から受ける「なんとなく似た雰囲気」や、視覚的な印象の共通性であり、目鼻の配置をミリ単位で測定するような厳密な幾何学的比較ではありません。

ここには重要な留保があります。もし、人物写真の同一人物判定に特化したArcFace(InsightFace)という技術を用いて、これらの地形の顔を比較したとしたら、最も高い数値を示したペアであっても、0.58程度にとどまることが分かっています。つまり、これらが「実在する同一人物」という意味での一致を起こしているわけではないのです。

CLIPが算出する高い類似度は、あくまでも陰影の「型」が似ているということを示しています。したがって、この連載において、特定の人物を想起させるような表現や、実在の誰かに似ているといった断定は一切行いません。わたしが見ているのは、地形そのものではなく、そこに落ちる影が描き出す、共通のパターンなのです。

遠い山ほど似ていた

計算の結果、上位に並んだのは、地理的に遠く離れたペアたちでした。岡山県の後山と山形県の蔵王お釜が 0.949 という高い数値で結ばれ、宮崎県の祖母山と栃木県の那須岳(0.947)、徳島の剣山と三重県の大台ヶ原・日出ヶ岳(0.944)、大阪の金剛山と富山の剱岳(0.944)といった組み合わせが続きます。

上位30組を俯瞰してみても、共通して見えてくるのは、「近くの山が似る」のではなく「遠くの山が似る」という現象です。岡山と山形、宮崎と栃木、あるいは沖縄の本部半島と山口の秋吉台。県境で顔を分け合っていた前身連載の光景とは、まるで逆の結果となりました。これは、地図上の距離と視覚的な類似性が、必ずしも比例しないことを示しています。

一方で、特定の峰が「似た顔のハブ」のように、いくつものペアの中心に立っていることも分かりました。金剛山(大阪)、大峯山系(奈良)、立山(富山)、後山(岡山)、大江山(京都)、くじゅう連山(大分)。これらの名は、上位のペアに何度も顔を出します。

興味深いのは、近畿の霊山同士がとりわけ高い類似度を返し合うことです。金剛山と大峯山が 0.943、那智山・熊野と大峯山が 0.941。信仰の地理としては隣り合うこれらの峰が、影の型の上でも互いを映し合っている。ところがその同じ金剛山は、遠く離れた富山の剱岳(0.944)や立山(0.939)とも強く結ばれます。近くと結ばれる線と、遠くへ伸びる線が、一つの峰から同時に出ている。そこには、地理ともそのままには重ならない、もう一つの「似た顔」の網が透けて見えます。

なぜ遠い山が似るのか

なぜ、これほどまでに遠く離れた場所から、同じ表情が立ち上がるのでしょうか。わたしは一つの仮説をおいています。それは、地質や標高、あるいはその土地の信仰といった要素ではなく、光の在り方に起因するのではないか、というものです。前身連載でも触れた通り、地形の顔を際立たせるのは、斜面の荒さと、黄昏時の低い光でした。全国を同じ標準的な光の条件で捉えている以上、もし同じ角度の光が、似たような粗さを持つ斜面に降り注げば、たとえ数百キロ離れていようとも、同じ影のパターン、すなわち「同じ型」が立ち上がることは十分にあり得ます。

もちろん、これはあくまで一つの推測に過ぎません。CLIPが捉えているのは視覚的な印象であり、山の素性そのものを記述しているわけではないのです。似ているのは影の形であって、山そのものではない。この数値の一致に、安易な物語や神話を見出そうとするのは、少し慎重であるべきでしょう。

しかし、県という人間的な区切りで眺めていた顔たちを、この「影の型」によって繋ぎ直してみたとき、日本列島の上に、今までとは全く別の地図がうっすらと浮かび上がってくる。それは、地理的な距離を無視して、視覚的な韻を踏むように結ばれた、もう一つのネットワークです。その線が何を意味するのか、わたしにはまだ、言葉にすることができません。

次回へ

今回は「同じ顔」を捜してみました。次回は、この5158の表情の中から、「最も人面らしい顔」を選び出し、一種の殿堂を作ってみたいと考えています。

顔を並べ替えるたびに、地図は姿を変えていきます。次回の更新をお待ちください。

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