こんにちは、パレイド思想部の梨本です。
三回にわたる「懐かしさ」の連載も、今回で最後です。一回目では、レトロブームが史実として反復するパターンを、歴史・美学・心理学の三層から確かめました。二回目では、その裏返しとして「占い」を置き、過去に投げる仮の安全と、未来に投げる仮の物語が、じつは同じ不安(自己の揺らぎ・不確実性)から生まれた、矢印の向きだけが逆の双子だと確かめました。そして最後に、こう書いて筆を置きました。「この対称な二枝を、たった一つの対象が同時に受け止めてしまったら、どうなるでしょう」。
今回は、その”たった一つの対象”を実際に机の上に置いてみます。四十一年前に発売されたファミコンソフトの、誰も遊ぶはずのなかった領域――スーパーマリオブラザーズの通称256Wです。
まず史実 ── 数え間違えたまま止まらないカウンタ
256Wは、発売から一年足らずで複数のゲーム雑誌に載って話題になりました。当初は原因不明で、「衝撃を与えると出る」「雷が原因」といった噂だけが先行しています。未解明の異常が目撃談として広まり、都市伝説化する――これは心霊現象の初期構造とほとんど同じ形です。1986年、宝島社の『バグボーイスペシャル』が出現法を活字にしました。ファミコン『テニス』を起動したあと、電源を切らずにカートリッジだけ差し替える、という手順です。同年4月のファミコン通信のインタビューでは、宮本茂がこの「ワールド9騒動」を『スーパーマリオブラザーズ2』の正式なワールド9の着想元だと認めています。噂を、当の任天堂が正史に回収した二重構造です。
技術的な核心は単純です。ワールド番号は1バイトの変数で、正規のレベルデータの対応表は1〜8ワールド分(と特殊枠のマイナスワールド)しか用意されていません。カートリッジの抜き差しなどでRAMが正しく初期化されないと、この対応表を指すはずのポインタが表の外側にはみ出し、そこにたまたまあったバイト列――直前に動いていた『テニス』の残留データなど――を、律儀に「レベル」として描画してしまいます。グリッチ面が”レベルの形”をしているのは、誰かが設計したからではありません。プログラムが、渡されたものを疑わずに描くからです。しかもワールドカウンタには上限チェックがなく、8-4をクリアしたあとも9, 10, 11……と数え続けます。ゲームは、物語が終わったことを知らないのです。
有名な「-1面」(内部的にはワールド36-1)も同じ理屈です。実体は7-2の水中面データの使い回しにすぎず、出口の土管がスタート地点に戻すだけで、実質的にクリアできません。詰みでも死でもなく、終わらせてくれない――このカウンタの暴走ぶりは、辺境部の連載でも実機観測されています。
御供餅さんが世界9を実際に歩いた回では、9-3が水中面で「出口の土管に入るとスタート位置に戻される」ことを確認していて、記事はこれを「無限ループでタイムアップを待つだけの、静かな不気味さ」と書いています。史実(数え間違えたカウンタ)と実測(実際に無限ループする)が、ここで一致します。
ネオンの心理 ── 緑を欠いた配色
256Wの画面には、マゼンタとシアンが目立つ配色がしばしば現れます。この組み合わせが人の目を惹くこと自体は、裏取りできる話があります。『ブレードランナー』のネオン都市デザインは、リドリー・スコットが来日時に見た新宿・歌舞伎町のネオン街が直接の原型だとされ、香港の乱雑な漢字ネオンも、世界的に独自の美意識として言及されます。
ここから先は、わたし自身の見立てです。マゼンタとシアンは、緑を欠いた配色です。日中の自然光景は葉緑素の緑が支配的なので、この組み合わせは夜間・人工照明でしか強く出現しません。つまり配色そのものが、「非日光・人工・夜」を符号化している、という仮説です。実証はできていませんが、以前の連載で扱った「たそがれ時」の視覚的な不安定さとも通じるところがあると思っています。
神話のフレーム ── 見るなのタブー
さて、ここからが今回の本題です。9-1以降を「別次元に迷い込んだ」というSF的な断定ではなく、もっと古い型で読んでみます。
イザナギ・イザナミ神話です。イザナギは死んだ妻イザナミを黄泉の国へ迎えに行きます――マリオがピーチを救出しに行くのと同じ構図です。イザナギは「見るな」の禁を破って火を灯し、腐敗した妻の姿を見てしまう――正規のクリア後、カートリッジ抜き差しという”正しくない越境”で、崩壊した鏡像の王国を覗いてしまうのと同じ構図です。そしてイザナギは黄泉平坂を大岩でふさぎ、現世と黄泉を分断します――正しくリセットを挟めば境界は閉じたままで、閉じずに越境した者だけが9-1を見る、というのもまた同じ構図です。西洋にはオルフェウスとエウリュディケ(振り返るなの禁)、ペルセポネ(不完全な帰還)という対応もありますが、日本語圏の読者にはイザナギ・イザナミの方が地脈が近いと思うので、こちらを主軸に置きます。
この読み方の要点は、9-1以降を「まったく別の世界」と切り離さないところにあります。同じ王国を、一瞬長く覗き込んでしまった――先に見た「カウンタに上限がなく、物語の終わりを知らない」という技術的事実と、この神話構造は矛盾しません。むしろ相性がいいのです。
裏面と裏山 ── 同じ型が、独立に繰り返す
「裏技」という言葉自体は、山とは無関係です。もとはプロレス用語(客に見えないところでかける反則技)を、コロコロコミックのゲーム欄担当編集者がビデオゲームの攻略法に転用したのが直接の語源とされていて、「裏山」から「裏技」への直接の系譜は存在しません。ここは正直に書いておきます。
ただ、もっと深いところに、本物のつながりがあります。日本語・日本文化には、「表(公認・可視・秩序)」と「裏(非公認・不可視・混沌)」を対にして、空間・社会・内面へ繰り返し当てはめる、非常に生産的な認知の型があります。裏山も裏技も、この同じ型から独立に生まれた別々の枝、というのが正確な言い方です。
裏山は、奥山(神域・異界)と里(村)の中間にある緩衝地帯――里山の、個人の家スケール版です。柳田国男は『山の人生』で、山を「近くて遠い異界」として描き、村と山の境界が妖怪や山の神との遭遇地点になると論じました。柄谷行人の『遊動論』も、河童の膏薬や借り椀、山の神への供物といった、山と里のあいだの”交換”の民俗を整理しています。これは柳田自身の『遠野物語』の世界観そのもので、以前わたしたちが扱った遠野物語の連載と地続きです。
宮田登による柳田解釈に、「妖怪は零落した神である」という説があります。かつて祀られていたのに忘れられ、畏怖の対象へ転落したものが妖怪になる、という理論です。これが256Wにそのまま重なります。ワールド1〜8は正規に設計され”祀られた”データ、9以降は同じROMの残骸が忘れられて零落し、不気味なものとして立ち上がったデータです。「零落した神」と「零落したレベルデータ」――字面までほとんど一致します。
面白いことに、この見立てを先取りするような一言が、すでに辺境部の記事に埋め込まれていました。256面を測定した御供餅さんが、有名な「-1面」の正体が7-2の水中データそのものだと確かめたくだりで、こう書いています。「辺境部の橘さんなら『付喪神みたいなもの』と言うところでしょう」。付喪神――長く使われ、忘れられた道具に宿るとされる神です。零落した神という民俗学の理論と、測定係が思わずこぼした一言が、部をまたいで同じ場所を指していました。
占いへの接続 ── こじつけ全開でいきます
ここからは、意図的なこじつけです。前回までの「事実か仮説か」という慎重さは、いったん脇に置きます。ただし、一本だけ本物の柱があります。
1703年、ライプニッツはイエズス会宣教師ブーヴェから易経六十四卦の「先天図」を受け取り、自らの二進法とまったく同じ構造だと気づきました。陽爻を1、陰爻を0とすれば、八卦(3本組)は3桁の二進数、六十四卦(6本組)は6桁の二進数に対応します。これは実際にあった知的発見で、こじつけではありません。
数の符合はここからです。マリオのワールド番号は1バイト、つまり8ビット・256状態。易経は6ビット・64状態。256÷64=4――易経の”占的空間”のちょうど4倍です。しかも御供餅さんの測定記事は、AreaPointer(面の正体を決める1バイト)について「上位ビットが型(水中・地上・地下・城)、下位ビットが地形」という構造を、実測で確かめていました。これは、易の卦が上卦(上の三爻)と下卦(下の三爻)の組み合わせで一つの意味を作る構造と、ビットレベルで同型です。すでに測定済みのデータの上に乗るぶん、こじつけの中では一番説得力のある柱にできると思っています。
占いそのものの型にも、汎文化的な前例があります。おみくじの原型は元三大師良源で、江戸時代に天海が戸隠神社で「百籤」を確立し、箱から番号付きの串を引いて対応する紙を受け取る形式が定着しました。西洋にも聖書のUrim and Thummim、ドドナの神託、ローマのsortesがあり、籤を引いて固定された答えを受け取り、状況に当てはめて解釈する――これは人類最古級・汎文化的な占いの型(籤卜)です。RAMに任意の番号を書き込んで面を呼び出すツールは、構造としては電子のおみくじ箱そのものです。
グリッチアートとタロットを組み合わせる”glitch_tarot”という企画も実在します。「タロットはランダムネス・図像・歴史的文脈と、人間の脳のパターン検出・物語生成能力を組み合わせた乱数生成器だ」という評もあり、これは256Wを眺める体験の説明に、ほぼそのまま流用できます。完全な独自発明ではなく、グリッチアートと占術という、まだ小さいけれど実在する潮流に接続できるということです。
最後に、時間の構造だけ書き添えます。41年前にROMの中に封印され、誰も全部を見たことがなかった画像群が、いま初めて系統的に解読される――デルフォイの神託が意図的に曖昧で、意味は予言された出来事が起きたあとで遡って”わかる”ものだった、という古典的な特徴と、相性がいい構造です。1985年に封印され、2026年にエミュレータとAIという道具立てで開封される予言書、というイメージです。
忘れられた住人たち
任天堂の外側でも、この領域を長年見つめてきた人たちがいます。ファンコミュニティのharisen.jpは、256Wの住人たちを異常報告集のように整理していて、いくつかは今回の話に直結します。クッパの「正体」はワールド番号で決まる対応表があり(たとえばワールド1は正体クリボー、8は本物、Nはフリーズ)、城でない面に現れる”偽クッパ”という発想は、玉座の正体不明という寓話にそのまま使えます。またキノピオとピーチ姫はキャラクターコードを共有していて、ワールド7まではキノピオ、8以降は必ずピーチが表示される仕様ですが、セリフだけはキノピオの「BUT OUR PRINCESS IS IN ANOTHER CASTLE!」のまま残ることがあるそうです。姫を助け出したはずなのに、姫自身の口が「姫は別の城に」と言い続ける――裏面の世界線に、そのまま使える一次ネタです。姿の見えない敵「フリーズ君」も、出ればフリーズするという現象をコミュニティが久しく擬人化・命名してきたもので、御供餅さんの「付喪神」の一言を、実例で裏付けています。
harisen.jpの用語整理によれば、256Wは技術的には「バグ面」ではなく「ショック技」(マイナス面だけが真の「バグ技」)で、さらに「アナザールーム」(チートでしか出せない、256Wにも通常面にも出ない部屋)や「アナザーゾーン」(見えるのに進めない領域)という階層まであります。そもそも覗くことさえできない領域がある――これは、黄泉比良坂のフレームをそのまま補強してくれます。
まとめ ── 実験場は、両端を同時に受け止める
一回目の記事は、過去に投げる仮の安全の話でした。二回目は、未来に投げる仮の物語の話でした。そして256Wは、その両方を同時に受け止めています。四十一年前のファミコンという、もう十分に懐かしいはずの対象でありながら、その内部にはいまだに系統だって解読されていない領域が残っていて、辺境部の連載がいまも一面ずつそれを開封し続けている――過去への郷愁と、未だ知られていない領域への好奇心が、同じソフトの同じROMの中で同時に働く、都合のいい器です。
辺境部では、256ワールド全1024面を実測で分類し、面白そうな面を選んでは実際にプレイする連載がいまも続いています。技術データの精度では、この領域はもうコミュニティの集計を上回っています。今回わたしたちが足したのは、その精度の上に乗る、史実と民俗学と、少しの空想でした。事実の部分は事実として、こじつけの部分はこじつけとして、境目はできるだけはっきり書いたつもりです。
三回にわたって「懐かしさ」を扱ってきたこの連載は、ここで一区切りにします。次に何を机の上に置くかは、まだ決めていません。